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奇蹟の記憶 前編

1990年、僕はまだ高校生で、その年の後半位から競馬を知って、なんとなく見ていた程度のものだった。
だから、レース体系はもちろん、血統、調教、時計、騎手すらあまりよく分からない中、ただ、美しいサラブレッドの火の出るような激しいレースに目を奪われていたに過ぎない。
もちろん上記のような競馬のデータ面諸々は、競馬に触れていく中でいやでも覚えていくものだけれど、競馬の真髄、その魅力、もっと言えば「競馬とはどういうものか」という本質を衝撃的に教えてくれたのは、前にも書いたように1990年12月23日のグランプリ有馬記念で、そこで教わった「競馬の本質」は18年経った今でも競馬に触れるときの僕の礎として、しっかりとある。
逆にいえば、1990年12月23日に競馬にのめり込み始めた僕としてみれば、その年の菊花賞をメジロマックイーンが勝ち、最強ステイヤーに名乗りを上げたことは何となくしか覚えていないし、ましてや12月1日に中京の新馬戦でトウカイテイオーが4馬身差の圧勝を飾ったことも、有馬記念と同日の京都シクラメンステークスでデビュー2連勝を飾ったことも、まったく知らなかったのだ。

1984年、トウカイローマンがオークスを勝った後、「トウカイ」のオーナーである内村正則は、引退後には同期の三冠馬シンボリルドルフを種付けしようと考えていた。
だが、思いのほかトウカイローマンの引退が延び、すでに手にしていたシンボリルドルフの種付け権利をやむなく行使すべく、ローマンの妹に当たるトウカイナチュラルにその種は付けれらた。
そうやって、トウカイテイオーは誕生した。
まるで、運命の悪戯のように。

生まれ出た史上最強馬の初年度産駒は、しかしひょろひょろの身体つきで、見栄えはしなかった。
だから、他のどの馬も越えられなかった柵を軽々と飛び越えた(だから、身体のバネは普通の馬のそれではなかった)とか、溝に嵌っておかしな姿勢になってもどこにも異常がなかった(だから、とても柔軟な体をしていた)などといった牧場時代の有名は逸話はおそらく本当の話なんだろうけれど、きっとその当時は育成係に心配の種を提供し続けるやんちゃな仔馬といった程度のエピソードに過ぎなかっただろう。
しかし、乗ってみると、その柔らかい乗り心地の良さに、誰もが感嘆したという。
それは入厩後も同じで、今でこそ有名なあのテイオーウォークも最初はひょこひょことした頼りない歩みにしか見えず、しかし、乗ってみると抜群の乗り心地で、調教ではすごい時計を出す。
史上最強馬の初年度産駒ということもあり、人々の期待は日に日に大きくなり、デビュー戦の圧勝でその道のりはすでに父と同じ、無敗の三冠馬へのスタートとして決定づけられた。

有馬記念での衝撃を忘れられず、年明けから僕は今までにも増して競馬を意識し始めた。好きこそものの上手なれとはよく言ったもので、知識も急速に増えていった。
その中で、かつてシンボリルドルフという七冠馬がいて、今もって日本競馬史上最強馬と言われていることも、その初年度産駒がちょうどデビューし始めていることも知った。僕は、中でもトウカイテイオーという皇帝の後継者にふさわしい名の、実際デビューから2連勝している馬に心を惹かれた。
競馬が血のロマンであると知らされ、気の早いマスコミの中では「あの最強ヒストリーを再び」といった記事をよく目にした。
競馬に取りつかれ始めた初心な僕は、これから紡ぎ出されるであろう、トウカイテイオーの魅力溢れるストーリーに引き寄せられた。
最強馬の子が、父と同じ道を辿る。もしかしたら、父を超えていく(それはもちろん新しい最強馬となるということ)かも知れないような馬に、早くも巡り合えたのかも知れない!

teio satuskisho


トウカイテイオーは、実際に父の道程をなぞるようにその後も若駒ステークス、若葉ステークスを危なげなく勝ち、無敗で皐月賞を制した。
迎えたダービーも、ただ1頭次元の違う強さで圧勝。
鞍上安田隆行の指は、あのときの岡部幸雄と同じように、2本高々と天に向かって突き出された。
帝王 ダービー


僕は、夢を見ているようだった。
オグリキャップの美しすぎる引退レース、あのあり得ないような大団円に、サラブレッドの人智を超えた何かに心震わせてから約半年。競馬という筋書きのない物語、人間が描いたって陳腐なものにしかなり得ない親子2代に亘るストーリーが現実に目の前で起こっている事実に、ある種の畏怖さえ感じた。

ダービーのゴールの瞬間、偉大なる父と同じ足跡を辿ろうかとするこの美しいサラブレッドに父の面影を重ね合わせ、だから、トウカイテイオーこそ最強馬だと信じ始めたファンは急速に増え始めた。
そして、レース後に骨折が判明し、菊花賞を回避せざるを得ないことが発表されると、もはや父と同じ道は辿れない事実に信者たちは落胆したが、父にはなかったその悲運さが逆に魅力として反転され、「最強であるはずなのに」といったイメージのみが独り歩きし始める。

1991年秋。
春にはトウカイテイオーが完全に打ちのめした馬が菊花賞を勝ち、古馬の代表格であったメジロマックイーンは天皇賞で降着、ジャパンカップは瞬発力勝負に対応できずに4着と敗れ、有馬記念ではダイユウサクに差し切られた。
オグリキャップなきあと、新たなヒーローの誕生に沸いた春があっただけに、そのヒーローがいない秋は余計に寂しく、だから「最強」の称号を持つ無敗のヒーローを皆が皆待ち望んだ。
そうやってトウカイテイオーの肩には特別な重荷が科せられ、一人歩きする称号はもはや誰にも止められなかった。

僕も、その一員だった。
いや、むしろ、オグリキャップに競馬を教えられた僕だからこそ、僕は競馬に夢とロマンとドラマしか見えていなかった。
だから、誰よりも彼に興奮し、彼の復帰を待ち望み、誰よりも強い「幻想」を彼の背中に背負わせていた。

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